4. 思考と哲学(その1)

(pdf版)

 

 

 前章では,思考を行なうための世界を設定した。世界を主観世界とし,思考体系作りおよび思考をしていくことになった。このように,主観世界は,思考を行なう世界であるだけでなく,思考体系作りを行なう世界でもあることを改めて強調しておく。

 

 次に,実際に思考体系を作り,思考を行なう準備をしよう。「計画」の章において,思考体系の作り方を吟味した。その結果,思考体系作りはどこから始めてもよいという方針が立った。これは,作られる定義というのは前提を必要としないということによるものである。

 それに加えて,定義は常に暫定的なものであり,適宜変更されてもよいということにする。前提がいらないので,何度でも納得のいくまで作り直してよい。

 

メタ定義
 定義は常に暫定的なものであり,変更されてもよい。

 

 しかし,それでもやはり改良の回数は少ない方がよいだろう。そこで,思考体系作りの中で考えていくのに効率のよさそうな順番をここで簡単に決めておきたい。

 思考体系では思考を可能にする環境を整備するわけであるから,当然「思考」がどういうものであるかが決まっていると進めやすいに違いない。そこで,まずは「思考」を暫定的に定義することを考える。思考の暫定的定義ができたら,それに従って,思考に必要と思われる道具をひとつずつ吟味していくことにする。このような進め方で思考体系作りを遂行していくことにする。

 改めて,「人生の意味」の問いに回答するための計画を示しておく。

 

図4.1 「人生の意味」の問いに答えるための計画

 

 したがって,本章ではまず「思考」を暫定的に定義することにする。では,「思考」とは何か?

思考とは何か?

 では,思考とは何だろうか。「計画」の章でも示したとおり,直感的には思考とは哲学と推論のことであると思われる。しかし,他にも思考と呼べるような作用があるかもしれない。そこで,他の知的作用も思考の候補に入れて考えていくことにしよう。

 時に,思考とは概念形成・判断・推論の3つの作用のことであると言われることがある。そこで暫定的に,これらを思考の候補とし,これらの作用を簡単に見ていきながら思考とは何か考えることにしよう。

概念形成

 まず,概念形成とは概念を形成する作用である。そこでまず概念について考えよう。誤解を恐れずに簡単に言うと,概念というのは単語が指し示す意味内容のことである。ではそもそも意味内容とは何か,どこにあるのかという疑問が生じるかもしれない。これ自体哲学の大きな問題であるが,ここでは簡単に単語の意味内容は「心的イメージ」としておく。心的イメージとは心の中に浮かぶイメージである。すなわち,概念とは単語の心的イメージである。よって,概念は客観世界の中に物としてあるわけではなく,あくまで心の中のイメージであり,記憶の中にある,意識(主観世界)の中にあると言えるかもしれない。

 具体例を挙げると,「ポチ」1「犬」「愛」「こと」「3」「あなた」「あれ」「歩く」「長い」「静かだ」「大きな」「ゆっくり」「とても」「だから」「おはよう」「まで」「させる」などの意味内容(心的イメージ)が概念である。以下では,その中でも特に普通名詞の概念にしぼって話を進める。例えば,「犬」「桜」「机」「本」「カレーライス」「アルバイト」「大学」「言語」「人生」「哲学」などの心的イメージである。これらは普通名詞と呼ばれ,具体的に世界の中にある内容物としての個体2(などの体存在)ではなく,それらの一般的な性質といったものを意味している。この意味内容こそが概念である。そして,一般に心的イメージとしての概念は,記憶として保存されていると思われる。

 なお,この意味内容(概念)を強調したいときは<犬>や<ポチ>のように表記する。それに対して,言語表現を強調したいときは「犬」や「ポチ」と表記する。すなわち,<犬>というのは普通名詞「犬」の意味内容であり,概念である。そして,<ポチ>は固有名詞「ポチ」の意味内容,すなわち概念3と言える。

 したがって,概念とは単語で表現されるような事物の一般的な性質・特徴であると言える。では,このような概念はどのようにして形成されるのだろうか? 詳しい概念形成の過程については後ほど改めて扱うが,ここでは簡単に概念形成の概略について考えることにする。

 例えば,<犬>という概念の形成について考えてみよう。目の前には犬の「ポチ」「クロ」「ハチ」などがいるとしよう。それらの多数(複数)の犬の個体を「似ているもの」としてグループにしたとき,そのグループに含まれる個体がもつ共通の性質「4本足である」「ワンと吠える」「しっぽがある」……「動物である」などをまとめて1つの心的イメージ(犬のシルエットのようなもの)として我々はもつようになる。それがまさに<犬>という概念である。このようにして<犬>という概念が形成されると思われる。

判断

 このようにして概念形成が行なわれる。そして次に,このようにして形成された概念を組み合わせると判断になる。例えば,「ポチは犬である。」「犬は動物である。」は判断(結果)を言語で表現したものと言える。それぞれ,<ポチ>と<犬>,<犬>と<動物>という概念を組み合わせ,結びつけたものと言える。そして実は,概念だけでなく,個体などの存在4も判断の対象(命題の主語)になりうる。「これはポチである。」「これは白い個体である。」などである。「これ」というのはある特定の個体を表している。また,概念や他の存在の関係を否定することも判断と呼ばれる。例えば,「ポチは猫でない。」「犬は植物でない。」「これはポチではない。」などである。したがって,判断は複数の概念や他の存在の間の関係を肯定・否定することであると言える。

 このように,判断の結果は命題(真偽の言える文)で表される。つまり,一般に判断の言語表現は,「SはPである。」「SはPでない。」という形式をとる。判断とは概念を別の概念で定義/説明することであったり,概念同士の関係を整理することとも言える。前述のように,個体などの存在5がその中に入ってくることもある。よって,判断というのは言語を用いれば,複数の普通名詞や固有名詞(などの名詞)を結びつけて命題を作ることに相当する。ただ,厳密にはこういった言語作用に対応する意識作用が判断ということにはなる。

推論

 このようにして作られた判断をさらに組み合わせると推論となる。例えば,「ポチは犬である。」と「犬は動物である。」という2つの判断(命題)から「ポチは動物である。」という新しい判断(命題)を導くことができる。これが推論であった。この推論において,「ポチは犬である。」と「犬は動物である。」は前提,「ポチは動物である。」は結論と呼ばれた。前提が1つだけのときも推論が可能であり,その推論を「直接推論」,前提が2つ以上の推論を「間接推論」と呼ぶことがある。概念や個体などの存在から命題を作る判断とは異なり,判断によって作られた命題を利用して新しい命題を作り出すのが推論である。

 

 以上の概念形成・判断・推論の構造のイメージを図式にするとこのようになると思われる。このように,概念形成・判断・推論は個体などの集合・概念・命題を介して互いに結びついていることがわかる。

 

図4.2 概念形成・判断・推論の構造のイメージ

 

 ここまで,思考の候補とした概念形成・判断・推論について簡単に見てきた。ところで,哲学というのはこれらの作用のどれかに相当するのだろうか? 前にも述べたように,哲学は直感的には思考であると思われる。思考というものの定義を考えるためにも,まず哲学がどういうものか,これらの作用であるかどうかを考察していくのがよいようにも思われる。そこで一旦,哲学について考えてみることにしよう。

 では,そもそも「哲学」とは何だろう?

哲学とは何か?

 まず,直感的に,「『哲学』とは何か?」と問い考えていくことは哲学であるように思われる。これは,他の概念(単語)にはない性質である。

 例えば,「『数学』とは何か?」と考えることは数学ではないし,「『科学』とは何か?」と考えることは科学ではないし,「『宗教』とは何か?」と考えることは宗教ではないし,「『犬』とは何か?」と考えることは犬ではないし,「『歩行』とは何か?」と考えることは歩行ではないし,「『ポチ』とは何か?」と考えることはポチではない。

 しかし,これらの疑問文について考えることはすべて哲学であると言えるだろう。よって,「哲学」とは簡単には,「○○とは何か?」と問い考えることであると言える。そして,哲学は「○○は~である。」と結論を出して終わるとも言えるだろう。

 ここで,この「○○とは何か?」という疑問文を「哲学文」と呼ぶことにしよう。ところで,この哲学文の主語「○○」にはどんな単語が入りうるのだろうか?具体例とともに吟味していくことにしよう。

  • 「『ポチ』とは何か?」(固有名詞)
  • 「『犬』とは何か?」(普通名詞)
  • 「『愛』とは何か?」(普通名詞)
  • 「『こと』とは何か?」(形式名詞)
  • 「『3』とは何か?」(数詞)
  • 「『あなた』とは何か?」(人称代名詞)
  • 「『あれ』とは何か?」(指示代名詞)
  • 「『歩く』とは何か?」(動詞)
  • 「『長い』とは何か?」(形容詞)
  • 「『静かだ』とは何か?」(形容動詞)
  • 「『大きな』とは何か?」(連体詞)
  • 「『ゆっくり』とは何か?」(副詞)
  • 「『とても』とは何か?」(副詞)
  • 「『だから』とは何か?」(接続詞)
  • 「『おはよう』とは何か?」(感動詞)
  • 「『まで』とは何か?」(助詞)
  • 「『させる』とは何か?」(助動詞)

 これらの哲学文により問い考えることは,どれも哲学であるように思われる。おそらく,名詞だけでなく,すべての単語が哲学文の主語「○○」になりうると思われる。すなわち,すべての概念が哲学の対象になると言えるだろう。

 ただ,一般に哲学文の主語としてよく扱われるものがあるようにも思われる。私自身の主観的な感覚では,一般には心的なもの,抽象的なものが哲学文の主語になりやすいように思われる。また品詞や概念で言えば,一般的によく哲学の対象になるのは普通名詞(一般概念)であると思われる。

 

 以上のように,哲学は「○○とは何か?」で始まり,「○○とは~である。」で終わる思考の過程であると思われる。このように暫定的に定義しておく。

 

定義
 哲学とは,「○○とは何か?」で始まり,「○○とは〜である。」で終わる思考の過程である。

 

 また,哲学の結果「○○とは~である。」のことを「定義」と呼ぶことにする。よって,哲学は定義を作る過程であるとも言える。このように,哲学を暫定的に定義することができるように思われるが,これは先ほどの思考の候補の概念形成・判断・推論のどれかに相当するのだろうか? そこで,少し哲学についてわかった今,この思考の候補の3つの作用と比較して考えてみることにしよう。

哲学は思考の候補のいずれかであるか?

 では,概念形成・判断・推論の3つの作用の中で,哲学はいずれかの作用に相当するのだろうか。

 まず,概念形成はどうか。哲学は概念を作り出す行為なのだろうか。いや,<犬>や<机>といった具体的な概念それ自体は哲学をして創出するものではないように思われる。私の中に「犬」や「机」という言葉に対する漠然としたイメージのようなものがすでにある。これらは身の回りの環境・文化,および人生などの経験のみによって作られるように思われる。ここに哲学が介入できる余地は見られない。既存の知識として,それぞれの普通名詞に対する私のイメージがすでに確固としてあり,考えても仕方がないようである。

 では,<言語>や<人生>といった抽象的な概念はどうか。これらもそれに対するイメージというのは経験などによって作られてきたように思われる。したがって,哲学のみによってそれらのイメージが作られることはないように思われる。すなわち,哲学は概念形成の過程ではない。

 

 しかし,<言語>や<人生>が何であるかを改めて考えること,これこそがまさに哲学であるように思われる。では,これはいったい何なのか。実はこれは判断の作用ということになる。判断はある概念を別の概念の組み合わせによって表現,説明することでもあった。概念同士の関係を整理することと言ってもよい。これこそがまさに哲学である。我々は,「そもそも人生とは何か?」「そもそも正しいとはどういうことか?」と抽象的な言葉の意味を吟味することがある。これらの疑問を問い進めていくことを一般に「哲学」と呼ぶのではないだろうか。これは先ほどの哲学の暫定的定義「哲学とは,『○○とは何か?』で始まり,『○○とは~である。』で終わる思考の過程である。」のことである。そして,この哲学の結果「○○とは~である。」は判断の結果「SはPである。」と同じ形式になっていることがわかる。つまり,哲学はある種の判断であると言うことができる。そして,その対象は個体などの存在ではなく,概念である。

 また,実は<犬>や<机>といった具体的な概念も同様に哲学の対象となりうるように思われる。これについては後の「個体と概念」の章で詳しく述べる。よって,以上をまとめると,哲学は概念の判断であると言えるだろう。

 なお,個体などの存在(後の章での体存在)も判断の対象にはなりうるが,その判断は哲学ではないとしたい。その代わりに,この判断を「認識」,この結果を「認識事実」としたい。例えば,「これはポチである。」「これは白い個体である。」などが認識された認識事実の言語表現である。これらは目の前にある個体を観察して判断することなので,あまり頭を使った哲学という感じではないように思われる。よって,概念を対象とした判断のみが哲学であるとする。

 

 ちなみに,推論はどうなのだろうか。推論は一般に1つ以上の命題から別の命題を導くことであった。そのため,これは一般に「考えること」であると言えるのではないだろうか。あれこれと考えることによって前提知識から結論を導くことを我々は日常的に行なっている。例えば,「今,外は雨だ。」「傘を差せば雨に濡れない。」「雨に濡れるのはよくない。」という前提から,「外に出たら,傘を差すのがよい。」を導くことなどである。このような推論は普通,無意識的に行なわれている。

 概念形成と同様に,これも哲学ではないように思われる。「○○とは何か?」と問い考え,「○○とは~である。」と答えること(哲学)は,いくつかの前提から「SはPである。」と結論を導くこと(推論)とは異なると思われる。結果は同じような形(命題)となるが,哲学(概念の判断)は前提の命題が不要であるが,推論は普通は前提の命題が必要であると思われる。よって,哲学は推論ではない。

 推論というのは日常的にも頻繁に行なっており,これが日常的な考えることの大部分であるように思われる。この推論というのは判断で得られた命題などを前提としているが,普段我々はいちいち哲学によって判断をしてから推論,すなわち考えることをしているのだろうか。いや,おそらくそんなことはないだろう。

哲学的推論と非哲学的推論

 哲学による判断は,よほどのことがないかぎり行なわれることはない。その代わりに活躍しているのが認識事実や価値判断,経験的知識などである。これらを「非哲学的知識」と呼ぼう。哲学を介さない推論では,この非哲学的知識を用いて推論が行なわれているように思われる。

 また,これに対して,哲学をして得られた命題(定義)を用いて推論をすることもあるように思われる。そこで,これらを区別しよう。直接的な前提や間接的な前提6に定義を含む推論を「哲学的推論」,そうでない推論を「非哲学的推論」と呼び分けることにする。

 そのため,哲学というのは考えるために必ずしも必要なものではない。我々には非哲学的知識という知識があるため,それによって推論すなわち考えることができる。ただ,もちろん哲学をすることにメリットがないわけではない。哲学をすることによって,非哲学的知識では得られなかった命題が得られ,それらを前提にすることによって同じ推論でも,非哲学的知識だけでは考えつかなかった結論に達することができるだろう。つまり,端的に言えば,哲学には我々の考えられる範囲を広げてくれる効果がある。

 以上の議論で,哲学は概念の判断ということになったが,ではこれはいったい誰が行なうものなのだろうか? それは,もちろん「私」である。一般には,主観世界であると言えるだろう。哲学の世界設定は主観世界となっていたため,哲学においては意識であるところの主観(主観世界)7が判断を行なうと言える。すなわち,哲学は主観による概念の判断であると言える。

 既にある非哲学的知識の判断を疑うところから始めて,自分(主観)の納得する判断に「書き換える」場合もあるだろう。ほとんどの哲学はこのような場合であるかもしれない。この書き換えが完了したときに,その哲学は完了したと言える。また,書き換えようと吟味・思案している最中は哲学の最中であるとしたいことから,厳密にはその書き換え作業の過程を哲学であるとしたい。また,非哲学的知識が判断を作っている場合,それを疑ったが,結局元の非哲学的知識に納得することもあるだろう。その場合でも哲学はその概念の吟味,再定義の過程として存在することとしたい。すなわち,哲学は概念の判断を主観が行なう過程であると言えるだろう。

暫定的な哲学の定義

 以上の議論をまとめて,改めて哲学の定義を暫定的にしておこう。

 

定義
 哲学とは,概念の判断を主観が行なう過程である。

 

 これは先ほどの定義「哲学とは,『○○とは何か?』で始まり,『○○とは~である。』で終わる思考の過程である。」とも一致していると思われる。しかし,先ほどの定義よりも,こちらの定義の方が簡潔であると思われるため,こちらの定義を採用しておく。

暫定的な思考の定義

 このように哲学が暫定的に定義できた。そこで次に,思考の定義をしていこう。しかし,現時点ではまだ,思考の候補とした概念形成・判断・推論などが詳しくは明らかになっていない。そこで,ここでは思考の暫定的な定義をしておき,この後でこれらの概念を改めて細かく吟味した後に,再び思考や哲学について考えることにしよう。

 やはり,直感的には哲学と推論は思考であると思われるため,思考を前の章と同じように暫定的に定義しておく。すなわち,思考は哲学と推論から成るとする。

 

\begin{equation*} \text{思考} \begin{cases} \text{哲学} \\[5px] \text{推論} \end{cases} \end{equation*}

図4.3 思考の構造(暫定)

 

 哲学や推論の他に,思考に含めるべきものがあるかについてはこの後で検討していく。

 先ほどの哲学の定義も踏まえると,思考(哲学と推論)に必要と思われるものは暫定的に「概念」「判断」「主観」および「推論」である。これらは,思考の候補にもなっていたものであるため,次章以降これらを吟味した後に改めて思考や哲学の定義を省みることにする。また,概念の材料になると思われる「個体」などについてもこの後で検討することにする。

脚注

  1. 「ポチ」はある特定の犬の名前とする。
  2. 例えば犬の「ポチ」,「バラク・オバマ」,「東京タワー」など
  3. 個体の心的イメージも概念の1つとしておく。これを「個体概念」と呼ぶ。これはその個体の記憶に相当する。
  4. 後の章で扱う「体存在」に相当する。
  5. 後の章で扱う「体存在」に相当する。
  6. 前提の前提,前提の前提の前提,前提の前提の前提の前提,… のすべて
  7. 以後,主観と主観世界を同義として扱う。
シェアボタン

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です