6. 判断
前章では,思考(哲学と推論)に必要であると思われる「概念」「判断」「主観」「推論」のうち,1番目の「概念」について吟味した。「概念」とはどういうものか,基本的な概念である具体概念の材料となる個体やその同一性,個体概念や具体概念の生成過程などについて考察した。続く本章では,2番目の「判断」について吟味していく。
判断とは何か?
まず,「判断」とは何だろう。日常生活でも「自分でどうするか判断しなさい。」「あの時はいい判断をした。」「あの人は判断力がある。」などとよく使う。このように大まかには,行動など何かを決めること,判定,決断,断定,決定などと言えるだろう。大まかにはこれでよいが,哲学的には,判断とは概念(心存在)や個体などの存在(体存在)1の関係を肯定・否定する作用であると言われる。本論文では,判断の意味を後者のものとして考えていく。この判断の作用は一般に「SはPである。」「SはPでない。」という文,すなわち言語で表現することができる。しかしながら,厳密にはその言語表現に対応するような意識的な作用が判断であることを強調しておく。そのため,原理的には判断自体は言語を用いなくても行なうことができる。
判断とは,概念やその他の存在の関係を肯定・否定する意識作用である。
このように,判断とは概念(個体概念・具体概念・抽象概念など)や個体などのその他の存在の関係を肯定したり,否定したりすることであるとは言うが,では具体的にはどういうことなのだろう。例えば,目の前に犬の個体ポチがいるとしよう。この個体ポチのことをここでは「この個体」と呼ぶことにする。このとき,<この個体は犬である>2という判断は,この個体と具体概念<犬>のある種の関係を肯定した結果と言えるだろう。そして,この判断を命題で表すと「この個体は犬である。」3となる。
一般に,概念や他の存在の関係を肯定・否定する行為・過程のことだけでなく,その結果のことも判断と呼ぶように思われるが,わかりやすさのため,その結果のことは 判断結果 と呼ぶことにしよう。それに伴って,判断はあくまで概念や他の存在の関係を肯定・否定する行為・過程のことのみを表すことにする。つまり,上の例では,この個体(ポチ)と犬のある種の関係を肯定して,すなわち判断をして,<この個体は犬である>という判断結果を得たということになる。そして,この判断結果を命題で表すと「この個体は犬である。」となる。
では,ここで肯定されたこの個体(ポチ)と犬との関係とは何だろう。それは,「この個体は犬がもつべき性質をすべてもつ」であると思われる。これにより,この個体は犬の1つの例であると認められたことになる。つまり,判断を行なう者が犬がもつべき性質を直観的に把握していて,この個体がそれをすべて満たしていると認められる場合は,<この個体は犬である>と認定されるという具合である。これがこの個体と犬の関係を肯定するということの内実である。そして,もしこの個体が,犬がもつべき性質を1つでも満たせなかった場合4,この個体と犬の関係は否定され,<この個体は犬でない>という判断をすることになる。
つまり,ここでは結果は判断主体のもつ情報などにより,この2通りが生じうる。
<この個体は犬である>
<この個体は犬でない>
これらは,結局,「この個体は犬であるか?」という問いに答えた結果とも言える。そしてこの「この個体は犬であるか?」という問いは,「この個体は犬がもつべき性質をすべてもつか?」と言い換えられ,その疑問文を肯定するか否定するかが判断(決定)される。
このような流れで判断がされると思われるが,ここでこの判断の際には,いったい何が材料・根拠として用いられているのだろう。基本的にこういった判断は現実の情報に照らして決められるように思われるので,「この個体はどういう個体で,どんな性質をもつか」などの判断主体に与えられた情報(知覚面・記憶面)が必要であるだろう。また,同じ情報が与えられても,判断主体によって判断結果が同じにならないということも起きうるだろう。その原因は,犬がもつべき性質の認識内容が判断する主体によって異なっているからである。与えられたこの個体の情報は同じでも,犬に対する認識が人によって異なり,判断の結果も同じにならないということはありえる。この「犬がもつべき性質は何か?」という基準こそが,具体概念<犬>の内容であったため,これが判断の際に基準として用いられると言えるだろう。そこで,これをそのまま 判断基準 と呼ぼう。この判断基準は概念として記憶空間にある。
すなわち,我々は<この個体は犬である>と判断するためには,この個体(主語)についての情報(「しっぽがある」「4本足である」「ワンと吠える」…など)と<犬>(述語)についての基準(判断基準)が必要なのである。この<犬>についての基準(判断基準)によって,この個体についての情報が処理され,判断が肯定か否定か決定されることになる。このようにして個体を対象とした判断が行なわれていると思われる。
また,このような概念以外の個体などの存在を対象とした判断のことを特に「認識」と呼ぶことにする。そして,認識という判断によって得られた判断結果を「認識事実」と呼ぼう。誤解がないと思われるときには,これを単に「事実」と呼ぶことにする。ここでの例では,<この個体は犬である>は認識事実であり,「この個体は犬である。」はその言語表現である。
そして,繰り返しになるが,判断や判断結果はあくまで意識作用とする。その判断結果に言語表現である命題が対応しているとする。例えば,命題「この個体は犬である。」は判断結果<この個体は犬である>に対応しているとする。
以上の仕組みを図解するとこのようになる。

図6.1 判断の構造(具体例)

図6.2 判断の構造(一般化)
ここからは,認識しやすさを考え,判断結果<SはPである>よりも命題「SはPである。」を主に扱うことにする。
次に,判断<SはPである>の全パターンを考えておこう。

図6.3 判断のパターン
判断の全パターンはこのようになると思われる。まず,個体・個体概念・具体概念のすべての組み合わせを考える。
(1)個体 a-個体概念 α
(2)個体 a-具体概念 A
(3)個体概念 α-具体概念 A
(4)個体 a-個体 b
(5)個体概念 α-個体概念β
(6)具体概念 A-具体概念 B
なお,a, bは個体,α, βは個体概念,A, Bは具体概念を表す。また,a∈A は要素aが集合Aに属すること,A⊂B は集合Aが集合Bに含まれることを表す。ここでは,便宜的に概念を外延(個体などの体存在)の集合とみなす。つまり,その集合の要素は個体などの体存在である。また,要素が1つのものも集合とみなす。よって,a∈A は a⊂A と書くことにし,∈は用いないことにする。
ここからは,わかりやすさのため具体的に,個体 a =この個体,個体 b =その個体,個体概念 α =ポチ,個体概念β=クロ,具体概念 A =犬,具体概念 B =動物,として考えていく。
また,単語の表現方法(括弧の使い方)を改めてこのように整理しておく。
表6.1 単語の表現について
この個体 |
ポチ |
犬 |
|
表現体 |
「この個体」 |
「ポチ」 |
「犬」 |
指示対象 |
[この個体] |
[ポチ] |
× |
概念 |
× |
<ポチ> |
<犬> |
表現体とは,文字や音などの言語表現の実体であり知覚面上にある。この紙面上に書かれている文字もすべて表現体である。概念は心的イメージ,基準,記憶といったものであり,記憶空間内にある。指示対象は,その言葉が指し示している個体などの存在であり,普通は知覚面上にある。なお,具体概念などには指示対象がないとみなす。そして,知覚面上の個体を直接指し示す単語「この個体」などには,それに対応する概念はないとする。
あえて言語化すれば,[ポチ]は「現在のポチ」であり,<ポチ>は「すべてのポチ」である。<ポチ>は現在のポチだけでなく,過去や未来のポチも含まれるだろう。<犬>についても同様に,「すべての犬」を考えておけばよい。
「=」について
「SはPである。」には「S⊂P」と「S=P」が含まれているように思われるので,これらを区別して,「S⊂P」を表すときにのみ「SはPである。」を用い,「S=P」を表すときには「SはPと同じである。」を用いることにする。
なお,「S=P」とは「S⊂PかつP⊂S」と同じであるとする。以下では,基本的にS=P,P=Sは省略し,S⊂P,P⊂Sのみ示すことにする。
ここからは,(1)から(6)までのそれぞれの判断のパターンを具体的に見ていくことにする。
(1)個体 a-個体概念 α
(1-1)[この個体]⊂[ポチ] : 「[この個体]は[ポチ]である。」
(1-2)[ポチ]⊂[この個体] : 「[ポチ]は[この個体]である。」
(1-3)[この個体]⊂<ポチ> : 「[この個体]は<ポチ>である。」
(1-4)<ポチ>⊂[この個体] : 「<ポチ>は[この個体]である。」
※説明の都合上,(1-3)から考える。
(1-3)について。この判断結果の表現は何を言っているのだろうか。もちろん,目の前にいる個体がポチであると言っているわけである。これは,ポチを再認知した場面と考えてみよう。ポチという個体を以前に知覚面上で分節化しており,認識していた。そして,その個体に「ポチ」という名前をつけ,その個体に関する性質もある程度,認識・記憶しており,それらを<ポチ>という個体概念として記憶していた。そして,いったんはそのポチが知覚面上から姿を消していたが,再びポチらしき個体が知覚面上に現われたとしよう。そのポチらしき個体[この個体]はよく観察すれば,<ポチ>がもつべき性質という個体概念の基準(判断基準)を用いて,それが<ポチ>だと再び認知・認識・判断することができる。しかし,その判断が済むまでは,仮の別の個体[この個体]として認識されているわけである。その仮の個体[この個体]がもつ性質などの[この個体](主語)の情報を集め,それと<ポチ>のもつべき性質すなわち<ポチ>(述語)の基準(判断基準)を照合して,[この個体]が<ポチ>かどうかを判断するわけである。
もし,目の前の[この個体]が<ポチ>の基準をすべて満たしていれば「[この個体]は<ポチ>である。」と判断の表現をし,そうでなければ「[この個体]は<ポチ>でない。」と判断の表現をすることになる。このように,個体の再認知は,個体概念の判断基準を用いた個体の判断により行なわれている。
(1-1)について。[この個体]も[ポチ]も要素が1つの集合であるので,[この個体]⊂[ポチ]であるならば自動的に,[この個体]=[ポチ]と言える(逆も言える)。この判断は,目の前にいる[この個体]と現在のポチが同じものであると言っている。現在のポチすなわち[ポチ]は1つしか存在しないとすれば,これは(1-3)[この個体]⊂<ポチ>と同じことを言っているのだろう。
(1-2)について。(1-1)と同様である。
(1-4)について。[この個体]の要素は1つであるから,これも成立するためには<ポチ>に含まれる要素は1つでなければならない。そして,その要素は[この個体]と同じになる。つまり(1-4)が成立すれば,<ポチ>=[この個体]と言える(逆も言える)。通常の個体概念には現在の個体だけでなく,過去や未来の個体も含まれるので,通常の個体ではこの判断は成り立たないが,現在の個体[この個体]のみに名前をつけるなど特殊な場合にはありえる判断となる。
(2)個体 a-具体概念 A
(2-1)[この個体]⊂<犬> : 「[この個体]は<犬>である。」
(2-2)<犬>⊂[この個体] : 「<犬>は[この個体]である。」
(2-1)について。これは最初の例で確認したものである。
(2-2)について。これも(1-4)に似ているが,<犬>の要素が1つのとき,それが[この個体]と一致すれば成り立つ判断である。このとき,<犬>=[この個体]となる(逆も言える)。現在の個体[この個体]のみに種類・性質・分類の名前をつけたような場合であるのだろう。これもかなり特殊な場合ではあるが,一応,判断のパターンに入れておくことにする。
(3)個体概念 α -具体概念 A
(3-1)[ポチ]⊂<犬> : 「[ポチ]は<犬>である。」
(3-2)<犬>⊂[ポチ] : 「<犬>は[ポチ]である。」
(3-3)<ポチ>⊂<犬> : 「<ポチ>は<犬>である。」
(3-4)<犬>⊂<ポチ> : 「<犬>は<ポチ>である。」
(3-1)について。これは「ポチ」という言葉が指し示す個体[ポチ]が,<犬>がもつべき性質をすべてもつということである。これは実際には,<[この個体]は[ポチ]である>によって個体[ポチ]を目の前にとらえ,<[この個体]は<犬>である>と組み合わせることによって導いているのだろう。それが自然な流れに思われる。
(3-2)について。こちらも[ポチ]の要素が1つなので,まず<犬>の要素を1つとする。そして,それが現在のポチ[ポチ]と同じであるというわけである。つまり,<犬>=[ポチ]が成り立つ(逆も言える)。これも特殊ではあるが,現在のポチ[ポチ]に性質・分類などの名前をつけた場合などだろう。
(3-3)について。まず,主語は個体概念<ポチ>である。そして,述語は具体概念<犬>である。どちらも概念であるから,この判断は厳密には記憶空間内(「頭の中」)でできる(行なわれる)と言える。まず,記憶空間内に<ポチ>を思い浮かべる。それはおそらく,一挙に把握された心的イメージだろう。そして,その個体概念<ポチ>がもつ特徴に注目し,そこに<犬>(<犬である>)という特徴が含まれるか考えていく。もしくは,<ポチ>がもつ特徴の中に,<犬>がもつべき特徴がすべて含まれているかと考える。そのような条件が満たされれば,<<ポチ>は<犬>である>と判断されるわけである。
(3-4)について。これも(3-3)同様,記憶空間内で行なわれる。<犬>がもつ特徴の中に,<ポチ>がもつべき特徴がすべて含まれているか考え,そうであれば,このように判断されると言える。通常の個体概念と具体概念では,このような判断は成立しない。しかしながら,ある個体のみがもつ性質などを概念として名前をつければ,このような特殊な判断もできるかもしれない。
(4)個体 a-個体 b
(4-1)[この個体]=[その個体] : 「[この個体]は[その個体]と同じである。」
(4-1)について。この判断はどうだろう? まず,個体と個体の関係に「属する」も「含まれる」もないため,同一性(「=」)のみ考えれば十分であると思われる。もし,[この個体]と[その個体]が元々異なる個体として分節化されたならば,構造上それらが同じ個体になることはまずないだろう。あるとすれば,個体が一体化(融合)したときだろうか。しかし,[この個体]と[その個体]が融合してできた新たな個体は[この個体]とも[その個体]とも同じものではない別の新しい個体になってしまい,[この個体]=[その個体]とは言えないようにも思われる。
逆に,[この個体]と[その個体]が元々同じ個体として分節化されたならば,[この個体]=[この個体]のようになるはずである。これは自己同一性であり,前に扱った個体の同一性のことでもあるため,ここではこれ以外の場合を考えよう。そのようになると,やはり[この個体]と[その個体]は元々異なるものとして分節化されたことになるだろう。やはり元々異なるものとして分節化されたのだから,[この個体]=[その個体]とはならないだろう。
したがって,[この個体]=[その個体]の形の判断は構造上成立しない。機械的にすべての判断のパターンを数え上げたため,このようなものも出てきたのだろうが,あまり気にしなくてよいだろう。
(5)個体概念 α -個体概念 β
(5-1)[ポチ]⊂[クロ] : 「[ポチ]は[クロ]である。」
(5-2)[ポチ]⊂<クロ> : 「[ポチ]は<クロ>である。」
(5-3)<ポチ>⊂[クロ] : 「<ポチ>は[クロ]である。」
(5-4)<ポチ>⊂<クロ> : 「<ポチ>は<クロ>である。」
ここで,括弧の位置はそのままで,括弧の中のポチとクロだけを取り替えたもの(例えば(5-2)[ポチ]⊂<クロ>に対して,(5-2’)[クロ]⊂<ポチ>)は構造としては元のものと同じになるため,ここでは省略する。
(5-1)について。[ポチ]も[クロ]も要素が1つであるから,(5-1)が成り立つならば,[ポチ]=[クロ]が成り立つ(逆も言える)。この判断は,現在のポチ[ポチ]と現在のクロ[クロ]が同じ個体であるということである。これは,同一個体に異なる名前がついている場合などだろう。
(5-2)について。この判断は現在のポチ[ポチ]が,<クロ>がもつべきすべての特徴をもっているということである。これも特殊ではあるが,先ほどのような同一個体に異なる名前がついている場合などだろう。
(5-3)について。これも成り立つためには<ポチ>の要素は1つでなければならない。そして,これが成り立つならば,<ポチ>=[クロ]と言える(逆も言える)。これは,現在のクロ[クロ]に,「ポチ」という名前をつけたような場合であるのだろう。
(5-4)について。これも記憶空間内で行なわれる。これは,<ポチ>がもつ特徴に,<クロ>がもつべきすべての特徴が含まれているということである。これもかなり特殊であるが,例えば,ある時期の個体に特別な名前をつけた場合などだろうか。
(6)具体概念 A-具体概念 B
(6-1)<犬>⊂<動物> : 「<犬>は<動物>である。」
ここで,犬と動物を取り替えた(6-1’)<動物>⊂<犬>も構造は同じであるため省略する。
(6-1)について。これは判断結果の表現である。このタイプの判断はいったいどういうものなのだろうか。まず,<犬>も<動物>も具体概念である。よって,それらは,犬がもつべき性質,動物がもつべき性質をそれぞれ表している。<犬は動物である>という判断結果は「犬は動物であるか?」という問いを肯定して答えた結果である。そしてこの問いを分析すると,これは「犬がもつべき性質の中に,動物がもつべき性質がすべて含まれるか?」(または 「犬がもつべき性質の中に『動物である』という性質が含まれるか?」)ということであるだろう。これならば,この問いを満たすとき,どの犬を選んできたときにも,その個体(犬)は動物であるということになる。
また,現実に,犬は動物である。すなわち,犬がもつべき性質の中に動物がもつべき性質がすべて含まれるため,<犬は動物である>と判断される。これは定義的に,そうなるように<犬>や<動物>を定めたので当たり前と言えば当たり前なのだが,これは概念同士の包含関係を整理し,階層構造を作るのに役立つ。

図6.4 概念の包含関係の例
グループ的に,外延的に概念をとらえれば,犬というグループはそっくりそのまま動物というグループの中に入っているということである。このように集合的に考えると,「犬は動物である。」は「<犬>⊂<動物>」を表していると言えるだろう。ただ,厳密には,概念は個体の集合というよりは,集合を作るような共通する性質のことであると考えた方がよいと前の章で述べた。外延的より内包的と言えるだろうか。そうは言っても,集合として考えた方がわかりやすいときもあるので,そこは適宜使い分けることにする。
<<犬>は<動物>である>と判断したとき,外延的には「<犬>⊂<動物>」が成り立つため,このときの<動物>を<犬>に対する 上位概念 ,<犬>を<動物>に対する 下位概念 と呼ぶことにしよう。このようにして,概念には階層構造が生まれる。
また,ここで注意すべきことは,集合としては,<犬>よりも<動物>の方が大きいが,性質の数はその逆になっているということである。<犬>がもつべき性質には<動物>がもつべき性質がすべて含まれ,さらに<猫>でもなく<ウサギ>でもなく<犬>を特定するような性質(例えば「『ワン』と吠える」など)を加えてもっている必要がある。内包と外延には,「量」について負の相関(逆の関係)があるとでも言えるだろう。
以上により,<SはPである>のすべてのパターンは網羅されたように思われる。これが判断の内実であるのだろう。ここでは,個体,個体概念,具体概念の場合のみ扱ったが,「個体→体存在」,「個体概念→体存在概念」,「具体概念→抽出概念」とすれば,すべての場合に適用できると思われる。
<[ポチ]は歩いている>は判断か?
また,ここで「[ポチ]は歩いている。」を考えておきたい。これは判断結果の言語表現と言えるだろうか?
「[ポチ]は歩いている。」は「SはPである。」の形ではないが,判断結果の1つの言語表現であると思われる。なぜなら,これは,「[ポチ]は歩いている個体である。」とほぼ同義的に言い換えることができるように思われるからである。
「S=[ポチ]」「P=歩いている個体」とすれば,これは立派に「SはPである。」の形となっている。よって,「[ポチ]は歩いている。」と「[ポチ]は歩いている個体である。」は,いずれも「[ポチ]は歩いている個体であるか?」という問いの肯定の命題であるとみなしてよいと考えられる。
そして,この問いは「[ポチ](と認められる個体)は歩くという動作を今しているか?」などと言い換えることもできる。もう少し解釈を進めれば,これは「[ポチ](の動作)は<歩く個体>がもつべき動作の特徴をすべてもっているか?」ということである。これを満たすときに,この問いは肯定され,「[ポチ]は歩いている個体である。」と言うことができる。逆にこれを満たさなければ,この問いは否定され,「[ポチ]は歩いている個体でない。」と言われることになる。
この場合も,先ほどと同様に,判断材料として,知覚面の流れから個体[ポチ](主語)の情報と記憶空間から<歩く個体>ないしは<歩いている個体>(述語)の基準(判断基準)をもち寄って判断を決定することになる。
そして,表現は異なるが,「[ポチ]は歩いているか?」に対しても,[ポチ]の情報と<歩いている個体>の基準(判断基準)によって判断を下すことができそうである。肯定すれば「[ポチ]は歩いている。」,否定すれば「[ポチ]は歩いていない。」という表現になるだろう。これらは直接的には「SはPである。」「SはPでない。」という形をしていないが,前述のように生成過程と内容は「[ポチ]は歩いている個体である。」「[ポチ]は歩いている個体でない。」とそれぞれ同じであるように思われるため,ここではどれも判断結果の言語表現であり,その生成過程はすべて判断であるとする。
よって,以上の議論を図解するとこのようになる。

図6.5 判断の構造(動詞表現の具体例)

図6.6 判断の構造(動詞表現の一般化)
※「Vしている」とは「(何らかの動詞)している」という意味である。例えば,「歩いている」「泳いでいる」「歌っている」などのような現在進行形である。
これにより,述語が動詞的表現であっても,判断結果の表現と呼ぶことができる。
また,目の前を[ポチ]が歩いているように見えたときに「[ポチ]は歩いている。」と表現した場合,これは判断結果の言語表現であって,初めから「客観的事実」として「[ポチ]は歩いている。」があったわけではないことを注意しておきたい。我々に与えられる情報はあくまで知覚面の流れであり,その中の,[ポチ]の何らかの動きに対して,記憶空間内の<歩いている>の基準を当てはめ,その基準を満たして初めて,「[ポチ]は歩いている。」と言うことができるわけである。事実をどういうものと捉えるかにもよるが,与えられた情報により肯定された個体についての判断結果を事実とするのであれば,「[ポチ]は歩いている。」は決して,この判断に先立って存在するような「客観的事実」ではない。
個体の分節化のときと似ているが,あくまで与えられた知覚面の流れの中では,動きは混沌としており,その混沌とした動きの一部を<歩いている>と認め,判断するのである。これは動作の分節化,動作の切り出しとも言えるだろう。このように,「[ポチ]は歩いている。」は初めから与えられた「客観的事実」では決してない。
以上の場合と同様にして,「[ポチ]は白い。」「[ポチ]は静かだ。」なども「[ポチ]は白い個体である。」「[ポチ]は静かな個体である。」と言い換えられるため,判断結果の表現であると言える。すなわち,述語が形容詞や形容動詞であっても,判断結果の表現と呼ぶことができる。このように考えると,「SはPである。」という形になっていなくても主語と述語からなる命題はすべて判断結果の表現であると言える。そして,それに対応する意識作用は判断や判断結果と言える。
ここまで,判断について吟味してきた。また,哲学は主観による概念の判断の過程であると以前に仮に定義したが,やはり哲学というのは「○○(概念)とは何か?」という問いに対して,様々に吟味をして,「○○(概念)とは~である。」と判断して終わるその過程のことであるように思われる。すなわち,今のところはやはり,哲学は主観による概念の判断の過程であると言えそうである。
命題の真偽
命題は判断結果に対応する言語表現である。またここで,判断主体(主観世界)の実際の判断結果に対応する命題は「真である」とする。この命題を「真理」と呼ぶ。また,概念を対象としたものを「定義」,個体などの体存在を対象としたものを「認識事実」とする。一方,その反対側の命題,すなわち判断主体の実際の判断結果でない方の判断結果に対応する命題は「偽である」とする。
この定義から,命題の真偽は判断主体にとっての真偽であり,判断主体に相対的なものとなる。また,命題のみが提示され,その真偽を判定したいときは,いったんそれを問いに戻して再度,主観世界による判断をすることで真偽を決めることができる。また,哲学は概念の判断であるから,哲学によって得られた命題は定義ということになる。
以上の議論を踏まえ,命題と判断や判断結果の関係を表に示す。
表6.2 具体概念の形成過程(その2)
知覚面(記憶面) |
記憶空間 |
言語表現 |
||
個体 |
→ |
個体概念 |
―――――― |
固有名詞 |
↓一般化 |
||||
具体概念 |
―――――― |
普通名詞 |
||
↓2つ以上の概念や |
||||
判断結果 |
―――――― |
命題 |
判断基準は,情報・状況に対する1つの基準を表している。それは一般に,知覚面上の状況と比較して,満たすかどうか確かめられるが,知覚面上で確かめられないような状況はどう扱うのだろうか。例えば,「<犬>は<動物>である。」などである。これは先ほども述べたが,記憶空間で扱うのだろう。我々の経験に基づくだけならば,知覚面の流れおよび記憶空間のみが我々に与えられた材料と言わざるをえない。
おそらく,これら2つの情報源を使っても答えられない問い,真偽判定のできない文はそもそも答えられない問い,そもそも真偽のつけられない文なのだろう。そこで,念のため,答えられない問いを「妄問」,真偽のつけられない文を「妄文」と呼ぶことにしよう。
直観と真理条件
また,よく哲学で用いられるように思われる「直観」とは何だろう。私にとっては,命題を真か偽か判定するときに用いる自分の中の基準全体のことであるように思われる。「直観的にこの命題は真である。」などと用いたりする。命題の真偽判定は判断基準によって再度判断することで為されるから,判断基準の全体が直観ということにほかならない。判断基準は概念のことであるから,直観は知っている概念の全体と言ってもよいだろう。さらにそれは,自らの知識の全体と言えるかもしれない。
直観=既知の判断基準の全体=既知の概念の全体=知識の全体
判断基準というのは知覚面・記憶面・記憶空間に対する基準のことである。
したがって,複数人で厳密に,ある問いや命題に対してまったく同じ判断基準をもつことができれば,その問いや命題に対しては同じ直観(真理観)をもつと言うことができる。すなわち,直観は理論的には共有されうる。