14. 対象

(pdf版)

 

 

 本章では,「対象」について改めて整理しておくことにする。

対象

 まず,「対象」とは何か。対象とは,主観的動作または客観的動作が働く先のもの(存在)である。例えば,判断・哲学・価値などの対象がある。そして,やはり対象には種類があると思われる。今までに出てきた対象を分類していこう。 

 

\begin{equation*} \text{対象} \begin{cases} \text{単独対象} \begin{cases} \text{注目対象} \\[5px] \hspace{20px} \text{︙} \end{cases} \\[5px] \text{関係対象(=判断対象)} \begin{cases} \text{外への判断対象} \begin{cases} \text{価値対象} \\[5px] \hspace{20px} \text{︙} \end{cases} \\[5px] \text{中への判断対象} \\[5px] \hspace{50px} \text{︙} \end{cases} \end{cases} \end{equation*}

図14.1 対象の分類

 

 このようになると思われる。まず対象は,「単独対象」と「関係対象」に分けられる。単独対象は1つのもののみを扱う場合の対象である。それに対して,関係対象は主となるもの(メイン対象)に加え,それと関係する別のもの(サブ対象)を同時に扱う場合の対象のことである。

 さらに,関係対象には「外への判断対象」と「中への判断対象」が含まれる。したがって、関係対象は判断対象であるとも言える。外への判断対象は,サブ対象がメイン対象の外側にある場合の関係対象である。例えば,「ポチハチの兄である。」「ポチりんごを食べている個体である。」などの「ポチ」が外への判断対象(メイン対象)である。ここでは<ハチ><りんご>などの概念も対象(サブ対象)になっている。

 他方,中への判断対象は,サブ対象がメイン対象の中にある場合の関係対象である。例えば,「ポチは歩いている個体である。」「ポチは白い個体である。」「動物はセキツイ動物と無セキツイ動物から構成される。」の「ポチ」「動物」が中への判断対象である。「中」とはそれ自身に含まれるということである。

 価値をつける,価値を語ることも一種の判断と見なせば,通常の価値では価値対象は外への判断対象と言える。例えば,「このはさみは紙を切るための道具価値をもっている。」「笑うことには,幸福のための幸福価値がある。」「ももには,幸福のための総合価値がある。」などの「このはさみ」「笑うこと」「もも」が価値対象であり,これらは外への判断対象となっている。価値対象がメイン対象,目的がサブ対象である。

 また,単独対象として注目対象がある。これは1つのものに注目するときのその対象である。1つのものに意識を集中させるとも言える。例えば,ある人を思い浮かべたときのその人(の個体概念),昨日の夕飯を思い出したときのその夕飯の記憶(おそらく概念),犬の概念(心的イメージ)を思い浮かべたときのその概念が注目対象である。

 

 また,対象化も分類しておく。 

 

\begin{equation*} \text{対象化} \begin{cases} \text{外からの対象化(分節化など)→部分存在} \\[5px] \text{中からの対象化→全体場(主観世界)} \end{cases} \end{equation*}

図14.2 対象化の分類

 

 対象化には「外からの対象化」と「中からの対象化」があると思われる。外からの対象化は,対象をその外側から捉えるもので,その対象は部分存在に相当する。それに対して,中からの対象化は対象をその内側から捉えるもので,その対象は全体場(主観世界)に相当する。したがって,対象化の種類(外からの対象化・中からの対象化)は存在の種類(部分存在・全体場)に対応している。

 

 この対象化(存在)の種類によって,可能な対象が変わってくる。その対応関係はこの表のようになると思われる。

 

表14.1 対象化(存在)の種類と可能な対象の種類

 

外への判断対象

価値対象
(⊂外への判断対象)

中への判断対象

注目対象

主観世界

(全体場)

×

×

部分存在

 

 ここで,価値対象は外への判断対象の1つであると思われる。主観世界は通常の価値の価値対象になれず,通常の(外からの)価値が語れない。これについては,「回答」の章にて改めて詳しく扱う。また,主観世界は外への判断対象とならず,その外にあるようなものとの関係性も語れない。よって,主観世界を外から支えるようなものとの関係などを言うことができない。

 しかし,主観世界はその中にあるもの(部分存在や知覚面など)との関係性はある程度は語れる。例えば,「主観世界は知覚面,記憶面,記憶空間から構成される。」「主観世界は認識・存在の土台である。」などである。

主観世界の対象化

 ところで,そもそも主観世界を対象化することはできるのだろうか。主観世界について語るためには,主観世界を何らかの意味で対象化しなければならない。しかし,主観世界というのは対象化を可能にするのに必要な土台のようなものであるから,それ自体を対象化することは本来できないようにも思われる。

 確かに,主観世界は個体などのように,はっきりくっきりとした輪郭をもつ存在ではない。しかし,主観世界が何のことであるかは,部分的であれ理解できているようにも思われる。まったく意味不明の言葉というわけではない。また,もし主観世界を対象化できないとしてしまうと,そもそも主観世界について哲学したり,語ることができなくなってしまう。現時点では,まだ主観世界について考えたり,語ったりすることを放棄したくはないので,擬似的にでも,暫定的に主観世界は中からの対象化はできるとしておきたい。また,個体などとは存在の種類が異なることは,当然,心にとめておかなければならない。

 したがって,通常の存在と同様に扱ってはならない。そこで,前述のように主観世界を「全体場」と呼び,通常の存在(部分存在)とはっきりと区別することにする。主観世界が何であるか,主観世界がどうあるかを確かめることはできず,ただ「主観世界が現われている」と言うことしかできない。

 

定義
 この主観世界は中からの対象化はできるとする。この主観世界は全体場である。

 

 ちなみに,同じ理由で,枠組みとしての心は解明/説明できない。心=主観世界とすると同じことになる。何かを解明/説明する(外への判断対象にする)ためには,それを外からの対象化をする必要があるからである。言うなれば,枠組みを解明/説明することはそもそも構造上できない。これは科学の限界などではなく,構造の限界である。だから同様に,今の科学という枠組みでは時空間という枠組みを支えるもっと「大きな」何かなどを扱うことができない。

  最後に,存在の種類と対象の種類の対応関係図を示す。

 

図14.3 存在の種類と対象の種類の対応関係

シェアボタン

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です