9. 思考と哲学(その2)
ここまでの章で,思考(哲学と推論)に必要と思われる「概念」「判断」「主観」「推論」について吟味してきた。「主観」の章では,概念・判断・主観の吟味を踏まえた上でも,以前の哲学の暫定的定義に問題はなかったという結論に至った。
そこで本章では,思考の暫定的定義を見直し,改めて思考を定義していくことにする。やはり,いきなり思考について考えるのは簡単ではないため,まずはもう一度,思考の候補を整理しておくことにしよう。これまでの思考の候補には,概念形成(概念抽出),判断(認識・哲学),推論(演繹)があった。まずはこの他に思考の候補になりそうなものがあるか,改めて探してみることにする。
判断については,個体などの体存在の判断と,概念(心存在)の判断があり,これですべての判断が網羅されていると思われる。前者は認識,後者は哲学と呼ぶことにしていた。次に,推論については,もちろん妥当な推論のみを扱うことにしている。妥当な推論は演繹のみであるから,演繹を候補としておけば十分である。
それでは,概念形成はどうか? 具体概念のように個体概念を複数集め,その共通性質を抽出することで概念を作ることを概念抽出と呼ぶことにした。では,概念形成は概念抽出だけであるのだろうか? 他の方法で概念を作ることはできないのだろうか?
確かに,自然に作られる概念というのは概念抽出によって作られるように思われる。しかし,それでは人工的に作られる概念というのはどうだろうか? 人間が既存の概念を組み合わせるなりして,新たな概念を作り出すということはあるように思われる。そこで,これについて少し考えておくことにする。
概念書換
「ユニコーン」を考えてみよう。ユニコーンとは,額に角が1本生えた馬のような想像上の生き物のことである。ユニコーンを「1本の角が額に生えた馬」として頭の中で作ったとき,これも1つの概念形成であり,ユニコーンは何らかの概念であるように思われる。
これは,個体概念の集まりから,共通性を抽出して概念を作る概念抽出とは異なる。通常の概念は,様々な概念(個体概念)の共通性を抽出して概念抽出により作られているが,ユニコーンの場合はもちろん,ユニコーンの具体例,すなわち個々のユニコーンを集めて,その共通性を抽出して作ったものではない。あくまで,いくつかの既存の概念,この場合<1本><角><額><馬>などを組み合わせて作られたものである。
ユニコーンの定義は厳密には,「1本の角が額に生えた馬」ではなく,<馬>の角に関する性質を「角が生えていない」から「角が額に1本生えている」に書き換えたものと言った方が正しいかもしれない。なぜなら,馬は角が生えていない生物として定義されており,角が生えた時点で,それは馬ではなくなってしまうからである。すると,この概念形成は「概念の内包の書き換え」と言った方が正しい。よって,この概念形成を簡単に「概念書換」と呼ぶことにする。
そうだとすると,これは判断の1つかもしれない。<馬>のもつ心的イメージとしての性質の1つ<角が生えていない>に注目し,<角が額に1本生えている>に変更した,そう新たに判断したと言えるかもしれない。
ただ,この心的イメージの性質を書き換え,変更するためには,そのための概念を新たに用意する必要がある。なぜなら,<馬>の概念の性質を変更して<ユニコーン>としてしまったならば,もはや元の<馬>の概念がなくなってしまうからである。したがって,この概念書換では,まず既存の概念Aをコピーし,概念Xを作る(概念形成)。(もしくは,性質を集めて概念Xを新たに作る。)その後,概念Xの性質を書き換え,変更して(判断),望みの概念に作り変えていく。このようにして,概念書換が行なわれていると思われる。このように,概念書換は新たに概念を作ることでもあり,新たに判断をすること(判断を変更すること)でもある。
また,具体概念だけでなく,個体概念など他の概念も同様に概念書換ができると思われる。例えば,頭の中で「翼の生えたポチ」を想像したり,明日 大雪が降ったと仮定して予定を立てたりすることである。つまり,概念書換は日常的な言葉を用いれば,想像や仮定と言えるだろう。
なお,当たり前だが,概念書換は,既存の概念(知識)の組み合わせでしかありえない。知らないものを組み合わせて,概念書換はできない。想像や仮定も,既存の知識の組み合わせであり,知らないものを組み合わせて想像や仮定をすることはできないだろう。
ここで,哲学と概念書換の違いについて考察しておこう。

図9.1 哲学と概念書換の違い
哲学は概念分析としての判断であり,概念書換は判断変更による概念形成である。そのため方向性としては,哲学は概念から内包へ向かい,概念書換は内包から概念へ向かうという互いに逆の性質があると言える。
概念書換には,説明語を新たに定義,導入することも含まれるかもしれない。おそらく,哲学用語の一部もそうである。
ここまでに,概念形成には2種類あったため,それらによって作られた概念も区別しておこう。概念抽出によって作られた概念を「抽出概念」,概念書換によって作られた概念を「書換概念」と呼ぶことにする。これらの概念の性質を表にまとめておく。
表9.1[→] 抽出概念と書換概念の性質
概念作成 |
判断 |
具体例(体存在)は知覚できるか? |
|
抽出概念 |
概念抽出 |
概念分析 |
知覚できる |
書換概念 |
概念創造 |
概念書換 |
知覚できない |
※下線部が概念形成である。
概念を新たに作り出すことを「概念作成」,概念を最終的な完成形に形作っていくことを「概念形成」と呼び分けることにする。また,書換概念の概念作成のことを「概念創造」と呼ぼう。また,概念の判断には2つの種類があり,概念書換と哲学であるが,哲学の方を概念書換に対応させて「概念分析」と呼ぶことにもする。
思考の候補
このように,概念書換も概念形成の1つであり,また判断の1つでもあることがわかった。そこで,この概念書換も思考の候補としておこう。次に,ここまでの議論で思考の候補とされるものを整理しておこう。
図9.2[→] 思考の候補
このようになっていると思われる。直接的な思考の候補は「・」のついているものとなる。念のため,個体の分節化などを一般化した「体存在抽出」を追加してある。これらの思考の候補を眺めながら,思考について考えていくことにしよう。
思考
それでは,「思考」とは何だろうか? 日常的な感覚(直感)では,まず思考とは考えることであると思われる。では,考えることは何か? これも簡単な問いではないが,考えるということは,まず「頭の中」で行なわれることであると言えるだろう。「頭の中」とはどこかと言われれば,本論文の用語を用いれば,記憶空間の中であると言える。「頭の外」は知覚面の流れ(知覚面・記憶面)が対応すると言えるだろう。つまり,考えるということは,記憶空間の中(のみ)で行なわれる(できる)ことであるとまず言える。考えるということは知覚や感覚とは別の作用であり、考えるためには知覚や感覚は不要であると考えられる。
これが考えるということが満たすべき条件の1つであると思われる。しかし,頭の中で考えることがすべて思考と呼べるのだろうか? 本論文では,思考を方法として「人生の意味」の問いに答えることにした。そうした理由の1つには,思考が「正しい」ものであるという期待があった。そのため,本論文で扱う思考は正しいものである必要があると言えるだろう。正しくない思考を用いて「人生の意味」の問いに答えたところで,その答えにどれほど説得力があるだろうか? そこで,思考によって得られる結果(命題など)は真である(真理)とする。
以上のことから,ひとまず仮に,これらの思考がもつべきと思われる条件を「思考の条件」としてまとめよう。
図9.3[→] 思考の条件
そこで,上でまとめた思考の候補について,これらの条件を満たすかどうか,表にまとめて示すことにする。2つの思考の条件を満たしたものには「思考」と表記する。
表9.2[→] 思考の候補の分析
正しい |
頭? |
正しくない |
頭? |
|
真? |
真? |
|||
思考? |
思考? |
|||
体存在抽出 |
体存在抽出 |
× |
- |
- |
真 |
- |
|||
× |
- |
|||
概念抽出 |
概念抽出 |
× |
- |
- |
真 |
- |
|||
× |
- |
|||
推論 |
妥当な推論 |
頭 |
妥当でない推論 |
頭 |
真 |
× |
|||
思考 |
× |
正しい |
頭? |
正しくない |
頭? |
|
真? |
真? |
|||
思考? |
思考? |
|||
体存在の判断 |
認識 |
× |
- |
- |
真 |
- |
|||
× |
- |
|||
心存在の判断 |
概念分析 |
頭 |
概念書換 |
頭 |
真 |
× |
|||
思考 |
× |
このようになっていると思われる。
この基準で考えると,思考というのは,やはり哲学と妥当な推論(演繹)のみであると言える。
図9.4 思考の構成
なお,先ほども述べたように,「頭の中だけでできる」という条件を満たすものを「考えること」と呼ぶことにする。このようにすると,概念書換(想像・仮定)・妥当でない推論などは思考ではないが,考えることではあると言える。
以上の議論をまとめると,このような図になる。
図9.5[→] 思考の候補と思考
※なお,「△=考えること」「○=思考」「☆=概念形成」である。
以上の議論から,思考の定義ができるようになった。すなわち,思考とは哲学と演繹のことである。
思考とは,哲学と演繹のことである。
哲学と演繹については,以前の章で扱ってきた。したがって,その考察によって作られた思考の基礎となるものを私の思考体系としよう。よって,これらの考察により,私の思考体系に従って思考をしていくことができるようになった。
また,本章までの議論により,知的活動の全体についても理解が深まったので,改めて第2章で暫定的に作成した表と図を完成させて示す。なお,「推論→演繹」「推論体系→演繹体系」と変更した。そして,哲学は概念の判断であり,概念のみを材料としている。よって,哲学は前提(文の形の根拠)が不要である。また,認識は体存在の判断であり,その材料は体存在とそれを結びつける概念であると思われる。そして,そのルールを「認識体系」と呼ぶことにする。認識体系は,ほとんど哲学体系と同じものになると思われる。よって,ここではそれらを同じものとしておく。
表9.3[→] 知的活動の特徴(完成版)
過程 |
結果 |
結果の集合 |
前提は必要か? |
材料 |
ルール |
|
生き方の設定 |
生き方 |
生き方の |
不要 |
私の知識 |
私の価値観 |
|
思考体系作り |
思考に必要な定義 |
思考体系 |
不要 |
私の知識 |
私の価値観 |
|
哲学体系作り |
哲学に必要な定義 |
哲学体系 |
不要 |
私の知識 |
私の価値観 |
|
演繹体系作り |
演繹に必要な定義 |
演繹体系 |
不要 |
私の知識 |
私の価値観 |
|
思考 |
真理 |
思想 |
不要/必要 |
概念・前提 |
思考体系 |
|
哲学 |
定義 |
思想 |
不要 |
概念 |
哲学体系 |
|
演繹 |
命題(結論) |
– |
必要 |
命題(前提) |
演繹体系(論理) |

図9.6 知的活動などの構造(完成版)
ここからは実際に,私の思考体系に従って思考をしながら,思考に直接必要というわけではないが,思考の活動を間接的に豊かにすると思われる「言語と意識作用」「概念分類」「存在」「価値」「対象」などについて考察していくことにする。これらの考察は「人生の意味」の問いを答える際にも間接的に役に立つだろう。